長宗我部元親ゆかり、四国霊場八十八カ所の第三十三番札所、雪蹊寺

今回は、四国霊場八十八カ所の第三十三番札所、雪蹊寺を訪ねました。
高知県で最も有名な景勝地、桂浜に近い場所にも関わらず静かな佇まいの理由は、立ち寄られる方のほとんどがお遍路さんであることにあるようです。

 

  

こちらのお寺は実は、四国霊場八十八カ所の中で2カ所しか存在しない臨済宗の禅寺になります。しかし、私が拝見しましたところ、高知県に多い真言宗のお寺との建物のはっきりとした違いが判りませんでした...
それもそのはず、弘法大師によって弘仁6年に開創された当時は、高福寺という真言宗のお寺でした。その後、廃寺となっていた寺を再興したのが長宗我部元親公であり、その際に元親の宗派である臨済宗の寺となりました。元親の死後、四男の盛親がここを長宗我部家の菩提寺とし、元親の法号から寺名を「雪蹊寺」と改め、今日に至るそうです。

 

当社の土佐漆喰「純ねり」が使用された本堂へ

入口から向かって境内です。

 

入ってすぐ右手には、立派な鐘楼がありました。
境内には、弘法大師のお姿も。

 

こちらが本堂です。
平成16年の改修の際には、当社の土佐漆喰「純ねり」が使用されました。

 

この白い壁部分が「純ねり」です。
長年の風雨に耐え、堅牢な美しさを保っていますね。

左下には、安産祈願の可愛いお地蔵様とお遍路姿の河童さん?がいました。

 

 

江戸時代初期には、こちらのお寺が高知の南学発祥の道場といわれ、天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍し、野中兼山などの儒学者を生み出したそうです。

 

また、明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870年)廃寺となり、翌年、後方に隣接して当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立されました。寺はその後、大玄和尚により復興されたそうです。

 

歴史を今も伝え続ける歴史建造物や寺社、これからも現存する姿のまま、後世に受け継いでいきたいものです。

 

参考資料:(一社)四国八十八カ所霊場会HP、Wikipedia、雪蹊寺パンフレット

 

[執筆:スタッフF]